門弟の人から、この間の道場の後での僕の挨拶が良かったから、
それ書いて下さいと言われたのですが、
自分でも何を言ったのかあんまり憶えていません。
ただ、こないだのテーマの道徳にせよ、
戦争にせよ、
ゴー宣道場のテーマというのは
「お題を与えられて、その解を最短距離で出す」
というようなものではないんだな……と、
改めて感じた……というような事を言った気がします。
こないだ、
たまたまつけていたテレビに西部邁さんが出ていて、
道徳教育の学科化について話していたので、
番組が終わるまで見ていました、
ボランティアを教科化するという話があるけれども、
ボランティアは「奉仕」という意味であり、
それは本質的に徴兵と同じである。
大人がそれを進んでしてないのに、
子どもにばかりそれを期待するのはいかがなものか……
という主旨の発言をしていました。
また教師が話す中身よりもそのふるまいを見て生徒が学ぶのが
道徳であり、尊敬を強要したり、
言っている事を刷り込む事が道徳ではない……とも言っていました。
つまり道徳というのは、
言われた事を行儀よくこなすという事とは
根本的に違う態度の事であり、
道徳の教科化というのは、
それ自体矛盾なのではないかという提起です。
大人が社会的主体を身につけていないのに、
子どもに対して盲目的に従わせる
テクニックだけ身につけさせても、
表面だけ態度のいいだけで何を考えているのかわからない、
不気味なモンスターのような人間を
育てるだけなのかもしれないなと、
それを聞いていて思いました。
たしか、こないだの道場でも現場の先生が、
同じような事を懸念していたはずです。
その予感は、やはり正しいのかもしれません。